子供が今までの習慣を打ち破り新しい習慣を定着させていく姿を見ることは
春が訪れた喜びよりも嬉しい
今までできなかった習慣もまずは「頑張ってやってきた!」の連続から
今や「やれるようになってきたよ!」やることが当たり前というかその子にとって一種のプライドになりつつある
その姿は他の子供にも良い影響を与えるとても価値のあることをしているのだよ
習慣を変えることは難しいが現実に起こっていることなのだと
あらためて自身に確信が揺るがないようその姿をしっかり脳裏に焼き付けている
子供が今までの習慣を打ち破り新しい習慣を定着させていく姿を見ることは
春が訪れた喜びよりも嬉しい
今までできなかった習慣もまずは「頑張ってやってきた!」の連続から
今や「やれるようになってきたよ!」やることが当たり前というかその子にとって一種のプライドになりつつある
その姿は他の子供にも良い影響を与えるとても価値のあることをしているのだよ
習慣を変えることは難しいが現実に起こっていることなのだと
あらためて自身に確信が揺るがないようその姿をしっかり脳裏に焼き付けている
マンガなどでもよくあるストーリーだけど
最大のライバルは、最高の親友となる
ライバルの存在があったからここまで来れた、ライバルの存在が頑張り続けるエンジンとなっていた
自分ひとりでは、くじけていたかもしれないけれど、ライバルの存在があったから成長できた
ということは実際に多い
また、そのライバルは自分と似ている人、似た境遇を体験してきた人であることが多く
次第に自分と同じなんだと分かってきて
「あいつも頑張っている」から自分も頑張ろうって思う
長い目で見れば心の深い部分で親友となっている
ずっと仲のいい友達もそういうことが多いと思うけど
自分をふるいたせるキッカケになるライバル=親友を大切にしていくことも自分にプラスになる
“全ての試合を思いっきり戦うために、毎日みっちり練習する必要があるんだ”
ジネディーヌ・ジダン
ジネディーヌ・ジダンとはサッカー史上最高の選手の1人とみなされている。選手としては、1989年から2006年まで攻撃的ミッドフィールダーとして司令塔の役割だった。FIFA最優秀選手賞、バロンドール、ゴールデンボール賞などの個人タイトルに加え、所属チームではワールドカップ、欧州選手権、チャンピオンズリーグ、リーガ、セリエAなどの主要タイトルをすべて獲得した。
新学期、またいろんなテストがやってくる
クラブではいろんな試合や大会がやってくる
そこで思いっきり戦うために、今から毎日みっちりそのトレーニングをしていこう
必ず輝いた未来を切り拓ける!
目標を実現させるのに最も難しいことは
「心に固く決心すること」
どんなに周りから否定されたり、自信を失いかけても
「自分はこうなるんだ」と心に固く決心できた子は
半年か1年たてば実際にその目標に近づいている
途中で自分はそれほどの人間じゃないとか楽な方に流されそうになることも当然あると思う
でも「心に固く決心」できた子はそれを乗り越えて成長する
心に決心したことを失わないよう
たとえその方向性が変化したとしてもそれをしっかり導いていく役割を
塾は果たしたい
野球のピッチャーに全力投球してもらうという、ある心理学の実験があった
まずは「苦しい顔」をしてボールを投げてもらう。次に「笑った顔」をしてボールを投げてもらう
その結果は「笑った顔」の時の方がボールのスピードが速かったという
春休みといえども時間に追われる日々の人も多い
そんな状況でも頑張ろうという姿勢に感心する
忙しい時ほど、窮地に陥った時こそ、深呼吸してみて「笑顔」をつくって全力投球を試みてほしい
笑顔をつくることによって脳がリラックスして
本来の能力を十分に発揮できるらしいから
「自分にとってどんな勉強をするのがいいのか」ということについて
いろんな手法を考え出して、多くのパターンができた子は
勉強に対してどんどん前向きになる
それをやることの意図を理解した上でやっているから「主体的で積極的な勉強」に変わる
理由が分からずに「やらされている勉強」だとそうはいかない
本来、一人一人に最適な勉強方法は多種多様なやり方があるはずだ
先生はそのお勧めパターンを提示するのだが、
一番最強となるやり方は子供自身が高いレベルで編み出したやり方だ
塾はまず第一に「高品質の授業を施し、高品質のシステムを提供こと」だが
一人一人に最適な勉強方法を編み出す指導にも力を入れて子供が「主体的で積極的な勉強」をいきいきと出来るように仕向けていかないといけない
どんな子も必ず「主体的で積極的な勉強」をいきいきと出来るはずだと信じて先生自身も日々精進していくのだ
子供は素直で純粋で心で伝えればしっかり伝わる
子供の可能性は無限大というけれど
子供の心は限りなく素直で純粋だ
宿題については「中身」「確かに自分のものにできるかどうか」という点も視点に入れることができれば尚良い
もし「宿題が難しすぎる」とか「簡単すぎる」とか「こんな宿題がいい(自分に効果的だと思う)」と思うことがあれば先生に言ってもらっていい
その発言を聞いて先生は怒ることはないだろう、むしろしっかり宿題の意義を考えていることに感心する
そしてもっとその子に合った宿題を追求する
そういうやり取りをすることはその子のさらなる成長にとって絶対プラスだと思うから
宿題は一方的に出されるものではない
先生と一緒に「効果的な中身」について話し合っていこう
それが「自分にとってどんな勉強をするのがいいのか」という認識レベルを高めることになる
“共に喜べる感動の瞬間を目指して”
宿題をやる習慣が身についていない場合、「宿題」という響きはストレスになるかもしれない
宿題をやることの意義について「少し別の視点」で考えてみる
宿題は「自分のため」と思っているとなかなか行動に移せないことが多いのではないかと感じる
もちろん自分のためだと確信できて頑張っている人は本当に素晴らしく、皆そうであってもらいたい
けれども中には宿題をやることが苦手な人もいる
原因は必ずしも自身にあるとも限らないと思う
もし宿題というものが「誰か大切な人のために届けないといけないもの」だったら、人はその宿題をやると思う
「別に届けたって誰かがそれほど大切にしているものではなく単に義務的なものだ」と過去の経験から感じるようになっていたら、人はその宿題をやらなくなると思う
そうなってしまったら、いくら先生がその子のために考え抜いた宿題を出しても、その子の不合格を絶対に見たくないという気持ちから出していても、なかなか子供には伝わらなくなっている
お母さんはそういう姿を見て心配に襲われる。子供を絶対に不合格にさせたくない「祈り」からそうなる
先生にとって宿題とは「過度に負担をかけたくないけど、絶対に不合格になってほしくない」という「祈り」を形にしたもの
宿題とは先生が何か利益や評価を得るものではない。子供に強制しようというものでもない
もし言葉にするなら「不合格にさせたくない」という「祈り」「願い」
お母さんを心配させてほしくないという「祈り」「願い」
宿題とは子供に強制したいものではなく、先生やお母さんの「心からの祈り」「心からの願い」なのだ
先生やお母さんにとっては大切なもので必ず届けてほしいものなのだ
宿題は自分のためになるものだけど、少し違う視点からみると人生の先輩である先生やお母さんの経験からくる大切な子供への「祈り」「願い」なのだ
「宿題やった?」という言葉は子供を責めている言葉ではなく
「祈り」「心からのお願い」なのだ
小中学生にとって日々いきいきと過ごすためには
まず成績を目標通りとって、自分のやりたいことを思う存分やること
その目標を決めておくと思う存分やりたいことができる
イキイキした生活ができ、どんどんイキイキした自分になっていく
勉強の成績も、スポーツなどでも、磨きたいことでも、人に貢献したいことでも
どんな目標が新しい学年の自分にふさわしいか、満足できるかについて考えておこう
こんな自分が好き!こんな自分が尊敬できる自分だ!こんな自分になりたい!
そんな自分になれるかなれないかは「その気持ちの強さ」がスタートになる!
人にはどうしても譲れないものが誰でもある
自分の得意なことや自分の中で自信が持てること
そういうものを磨き続けることには徹底的にこだわった方がいい
人は一つの自信のもてるものからどんどん自信のもてるものを増やしていく
自分に自信がもてなくても必ず一つは自信のもてるものがあるはず
それを徹底的に磨き上げてみよう
その過程でまた新たに自信のもてることが生まれていく
同じような過程で自信が増えていく
そしてその自信がふつふつと夢や志を生み出していく
今までの評価など数か月もあればすぐに覆せる
人生を「希望」で満たしていける気がする
たった一度の人生、あきらめや逃避を続けるのは楽しくない
「一つの自信」から「希望」を見つけ、いきいきとした日々にすることがきっといい人生になるはずだ
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