カテゴリー: 夢と志 Page 6 of 10

本当の勉強

今ニュースを見ていると震災による被災者や戦争による障害者などがよく取り上げられているけど

人間は当事者でなければ実感出来ないという人間の性があると言う評論家がいた

自分もしくは身近の人がそうなって初めて実感できると

でも人は実際に会って話を聞いいたりすることで、ある程度は実感出来る

何かを感じる

自分の力や可能性をそういう人たちのために使わなければならないという気持ちになる

もしかしたら人間一人の力はしれてると感じるから自分の非力を感じてどうする術も見つけられずに過ごすかもしれないが

子供にはどういう行動をとる人になるのが良いか、どういう風に社会に貢献できる人になるのかを大人が教えないといけない

少なくとも当事者の境遇や生の声を調べる、それに対して自分の将来はどうするのか、どうすれば自分自身のことを心から尊敬出来るのかについて考えることは十分できるはずだ

どれくらいのことが出来そうなのかを考えることが人として大切なことで

友達同士でもそういう話をする場面が増えることが必要だ

実際今の子供たちが未来で平和で幸せに生きられるような社会にするには、そういうことを子供に教え考えさせること

子供自身が考えて何かを見出す過程が「本当の勉強」なんだろうと思う

勉強にはいくつかの側面があるが、これが一番大切なことで、教員はそれを忘れずに日々の教育に向かっていかないといけない

やる気を行動に移すには

やる気はあるけれども行動が伴わなくて、目標に向かっていく自分になれないことってあると思う

行動が習慣になると充実感や良いサイクルを維持できるのだけれども、「行動」に移し「習慣」にすることはなかなか難しいよね

今まででうまくいった例としては

☆目標を具体的な目標に分ける

例えば「引き締まった体にする」という目標を「週2回筋トレを30分、週2回ランニングを30分」とか

「英語を強くする」という目標なら「平日の朝20分と夜20分にリスニングとシャドウイングをする」とか

「まずは1週間やり切ってみる」とか「次はとりあえず1か月やり切ってみる」とか

さらにもっと具体的な行動目標を作っていくとうまく良い習慣・サイクルとして軌道に乗ることがあった

何時からとか何回とか何日やって何日休むとか具体的な「数字」を決めておくのがいいことが多い

☆毎日頻繁に目標を見返す

人間は忘れる生き物のようで、習慣として体が覚えるまでは頻繁に目標を見返して脳に刻みこまないといけない。逆に習慣になるというのは「脳に刷り込まれて無意識の領域まで達している状態」だと思う

やる気をしっかり行動につなげることができれば、新しい景色・心境に到達できる

それ自体が素晴らしい経験だし、さらに目標に近づき結果が出てくれば至福の時が訪れる

周りからも魅力的な人、リスペクトに値する人として見られるようになる

いろんな良いことがどんどん生まれる

せっかくのやる気をぜひ目標達成につなげてほしい

失敗しても君の価値は下がらない

何かにチャレンジして傷ついたりしてもその人の価値は全然下がらない

むしろ周りからの評価は上がることも多い

失敗は自分では辛く屈辱的なものに感じるかもしれないが

周りからの評価や周りの人が判断する君の価値は上がることが多い

成功者とは必ず多くの失敗によって磨かれた人だからその失敗以上の期待をもたれる

失敗を恥だとかかっこ悪いと思わなくていい

むしろそういうチャレンジする姿はかっこいい

君のことを思う人はそういう姿に魅かれ、共に君の成功を願うようになる

人の心を動かすことは、それは今は付加価値かもしれないが人生においては失敗よりももっと価値のあるものになる

成功者とは必ず多くの失敗によって磨かれた人

気付いていない「可能性」がある

行く時には見つけられなかったものを帰りに通った時に気づくことってあるよね

「可能性」というものも、その時は違うことに気がいっていたから見えなかっただけで、よく探したらあったんじゃないかって思うこともある

違うことっていうのは、ゲームや気晴らし動画であったり、宿題に追われたりなどかな

目の前の娯楽などを拾っていくのと

「可能性=才能」を拾っていくのと

長い人生を考えた時、どっちが自分の幸せ、人々の幸せになるかな?

「可能性」はないのではなくて、見落としていることが多いと感じる

「可能性」は見つけようという気持ちになれば、次々と現れてくるよ

向いているかどうかよりも気持ちが勝つ

なりたい自分を考える時、あまりにも畑違いだと自分では思ってしまって、候補として思い浮かばないことってあると思う

例えば、文化部だったから運動部に移るのは無理だとか、数学が苦手だから理科系方面は自分には無理だと考えているとか

10代ってまだまだ何でも目指せる年齢で、半年か1年その気でやればいつの間にか新しい自分になっていることが本当に多い

だから「なってみたい自分」をじっくり考えてそれに向かって勇敢な一歩を踏み出してみてほしい

向いている向いていないはあるかもしれないけど、「なってみたい」という気持ちがあればそれは関係ない

時間がたてば気持ちが勝つ

新学期が始まる

新学期の抱負・目標・決意・信念などを「志」と言おう

志は自分に誇りがもてるもの

自分にとってプラスになり、志に向かっていくような計画・自分を律するルールなどを「習慣づくり」と言おう

習慣として行動できるようになれば日々充実感を積み重ねていくことができて、無意識に行われるものになってくると心的努力も少なくて済み、他人へのやさしさや思いやりをもつ心の余裕もできる

誇りがもてて、日々充実感がもてれば、次第にそれは自信にもなり、自分を自分で認めることができ(自己肯定感)、未来が明るく感じられる

人にやさしくできる。人のために何かしたいという気持ちの余裕も生まれる

周りから認められる。尊敬される。重宝される。人望を持たれる

素晴らしいではないか

このことにワクワク感をもとう

ワクワク感とは、志に誇りがもてて自分を律するルールが明確にできて日々習慣としてやり切る充実感を得ることができれば、きっと自然と湧いてくるはずだ

すべては、「志」「習慣づくり」から始まる

そんな素晴らしい新学期にしていこう

科学の進歩

2024年になってすぐ能登半島大震災や航空機事故が起こり

どうやったら人を救えるのかって考えさせられる

また、年をとったせいか、現代の科学技術って昔と比べてすごく進歩したんだなと驚くことも多い

先生が中学生の頃、携帯電話というものは存在しなかった
1970年の大阪万博でワイヤレステレホンとして携帯電話は誕生したらしいがかなり大きいもので
実際、一般的に普及したのは大人になってからだった

実は中学生の頃、CDもまだ普及していなかった。けど今はCDでもなくiPodという非常にコンパクトなものになり、さらにイヤホンもワイヤレスという、当時からは想像できなかった世の中になっている

同じように人を救うことができる科学技術も進歩し、昔では考えられなかったことが可能になっている

これからもまだまだ科学技術は進歩していくんだろうなと感じる

もし昔に戻れたら、もっと物理や化学や生物や地学を勉強して科学技術の力で人を救えるような人になれたらいいなあと思う

当時は物理、化学、生物、地学はテストがある科目として見ていたけれど、未来の科学技術を生み出すものだと思っていたら、もっと違う見方ができたと思う

中学生でも勉強は入試に向けてやることが多いとは思うけど、未来の進歩を想像して取り組んでいればもっとそういう夢がもてたんだろうなって思う

みんなも一度、未来の進歩を想像して「夢」を見つけてほしいと思う

そして、それが人を救うものなら、本当に素晴らしいことだと

行動を起こせば何かが起きるというのは本当だ

駅伝や高校サッカーや高校ラグビーを観ていて、魂の燃焼を感じてやまない

人生は「戦い続ける」「走り続ける」など、何かにエネルギーを燃やすことによって何かを起こしていく

魂を燃焼させる 心を燃やせ

そうすれば必ず何かが起こる

あとは、自分で決めた計画と日々のメニューをただやり切っていくだけ

「たとえ己の弱さや不甲斐なさにうちのめされても心を燃やせ 歯を食いしばってでも前を向け」

これは鬼滅の刃の煉獄杏寿郎の言葉

今年も魂を燃焼させられること、心を燃やせることを見つけよう

今の環境にあらためて感謝

新年おめでとう

本日は2024年元旦ですが、大地震が発生し正月どころではなくなっています。

電気がこなくなる、電波がこなくなり携帯が使えなくなる、水がでなくなる、、

日々当たり前と思って生きているけど、いざこういう状況になって初めて、電気や電波や水道などの存在とそれを維持管理してくれている人たちに対してこの上ない「感謝」の気持ちが湧いてくる

こういう良い社会を長年築いてきてくれた人々がいる、便利な機器などを発明しまた改良を重ねてきた人々がいる

現在を生きている自分は、未来の人々に対して感謝してもらえることをしているだろうか

また「未来のため」にすべきことは何なのだろうか?

未来に対して良い社会を築くことやテクノロジーを開発し改良していくためには何が必要だろうか?

それはまさに「勉強」ではないだろうか

今日1日先生はあらためて未来に向かって人間は勉強していくことが大切だと感じた

世の中で最も深い愛

今日は大晦日。2023年最後の日。

今までの大晦日を思い出したとき、パッと浮かび上がるのは「家族の時間」

今からすればかけがえのない時間だった

君たちは母親の子供への想いの言葉がどれだけ記憶に残っているだろうか

昔戦争で兵士が死ぬときの最後の言葉は圧倒的に「お母さん」だったという

母親は自分の命よりも子供のことを想っている

でも日常、近い存在でいるときはそのことを感じないで過ごしている

昔の兵士のように死が現実となったとき人は母の愛の深さを口にする

君たちは将来、母をいたわれる生き方をしているだろうか

来年、どれだけ母をいたわれるだろうか

どんなことに母は喜びを感じるだろうか

物ではない

目標を掲げてそれに向かって一生懸命になっている、そんな君たちの生きる姿勢ではないだろうか

 

2023年どれだけ母を労りましたか

2024年どれだけ母を労りますか

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