強制力でいうことを聞かせるのは最上の教員ではないと今になってあらためて思う
なぜなら強制力では心を変えられないから、子供が本当に宿している能力の半分は引き出せるかもしれないが、結局はもう半分の能力を潰してしまうことになる
心で分からせないとその子の本領を引き出すことは出来ない
心で分からせるには?
心はよっぽどなことがないと急には変わらない
根気強く丁寧に動かさないといけない
多大な時間と忍耐と許容と寛容が必要だが、その根底にあるものはその子への愛情と成長への願い
強制力を執行することは簡単な方法だが、心を折ってしまうと愛情も成長の願いも無意味になってしまう
世の中に簡単な方法などない。ましてや人の心を動かすのに「簡単な」方法があるだろうか。人の心ってそんな簡単で単一なものだろうか
多大な時間と忍耐と許容と寛容をもつ気概が最低条件で、それから工夫と知恵とスキルそして言葉が必要だ
「愛情と願いをとめどなく澱みなく持ち続け何度も知恵を絞る心と言葉に、必ず子供は反応し真実の方向に心を向ける」
という「信念」をもつことだ
恐らくその真実の方向こそが教員自身の鏡なのだろう
教員とは子供の心を形成し子供の将来観を形成することに
とてつもなく大きな責任を負っている